昭和49年12月17日 朝の御理解



 御理解 第43節
 「死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。」

 昨夜、十時ちょっと過ぎくらいに、こちらへ出て参りました。お初穂の整理をなさっておられた後、全部一通り目を通させて頂いて、そして、最後の御祈念をさせて頂こうと思うて、ここへ座りましたら、あの、天地日月の心という御本が、昨日出けて来とるのがここに置いてございましたから、これをちょっと、まっ1~2ページどんな風だろうかと思うて読ませて頂いておりましたら、もう何回も講師の時にも読んでおりますけれども、読み出したら止められずに、とうとう読んでしもうた。
 もう止めようか、もう止めようかと思うけれども、もう次をもう1ページ読んで止めよう。もう体もゾクゾクして来ましたから止めようかと思うけれども、止められなかった。というほどしに、この何というですかね。自分でお話をした事が、ただこうして活字になっておる。しかもその内容がいわゆる、まあ言うならこの本の題名にもなっておるように、天地日月の心と言う様な所を、若い先生方にそれこそ噛んで含めるように説いておる。まあ説いておると言うて、私自身もやはり頂いて。
 そうだなそうだなという風にして、まあ頂いた訳ですね。天地日月の心にお互いが本気でならせて頂くけいこをね、させて頂かなければ、金光様の信心の本当の真髄は、私は分からないと思う。今日これを頂かせて頂きましたら、43節ね、死んだからと言うて、神のおかげを受けずにはおられまいが、死に際にもお願いをせよとね、天地日月の心になっておるから、生きても死んでも、天と地はわが住処と思えれる自信ね。また天地日月の心で私共がおかげを頂いて行くところにね。
 それこそこの世は極楽というおかげもまた、それに伴うて来るのです。それから12時ちょっと過ぎぐらいに、部屋に参りまして、だから休ませて頂きましたら、家内がけたたましゅう部屋に入って参りました。ここ2~3日、おじいちゃまが具合が悪かったですから、あの年よりの部屋で休んでるんです。風邪を引きましてね、何かこうまあきつそうにしておりますから休んで。とうとう昨日の御大祭にもご参拝が出けなかった。それでも、母に今日のお祭りはどげな風じゃったじゃろうか。
 まあ大変なお参りでじゃったげなと言うて、あの母が申しましたら、大変喜んで。それから、これは御直会と言うて、その飲み物なんかも頂いた。それであの家内もウトウトしよりましたげなら、えらい急に楽になったように息遣いが優しくなったから、あの見てみましたところが、もう大変これはもう、これはお国替えしござるとじゃろうという風に思えたもんですから、すぐ私を呼びに。それから子供達を皆起こす。
 修行生の方達も起こして、それからお医者を呼びに行く者、近所に妹がおりますから、ところに電話をかける者という風にして、まあお医者さんも来て頂いて。まっ注射をして帰られました。ただ明日辺りに急変なが起こったら、すぐ電話をかけて下さいすぐ参りますからと言う事で、まあお帰りになりましたですから、まあ皆んなまだ明日までぐらいは大丈夫と言う様な気がして、なら皆さん早う休んで下さいと言うて、休ませませた。私も部屋に入った。
 それでもう家内が何日も疲れておりますから、妹が替わりにあの、側につかせて頂いて、もう部屋に入りましたら、もうすぐ、また呼びに来ました。そしてもうこうかすかあに息はしておりますけれども、私が行って手を握ってから、こうやって顔を近づけ、耳を近づけた途端に、息をしなくなってしまいました。もう本当にまあ何という安らかなお国替えであっただろうかと。即あの天津祝詞を奏上させて頂いて、もう本当に只々お礼を申し上げるよる他はないという感じで。
 丁度2時40分でございました。それからその御祈念の時間になったから、こちらへ出て参りまして。まあ神様にお礼を申させて頂きましてから、まあ何と有難い事だな、神ながらな事だなと。これが一日前の日であったら、もうそれこそ前夜でもここは手にあわんやでございましたし。又お祭りにもまあそれを伏せて、お祭りというのも何か変ですけれどもね。もうとにかく成程生きても死んでも天と地はわが住処であると同時にです。もう生きる事も、死ぬる事も神様のおかげを頂いておらなければいけないし。
 本当にこの世で神様のおかげを、それこそ心の底から神様のおかげでというものを感じておるおかげを頂いておらなければ、ああいう安らかなお国替えは出けないのだろうと、私は思いました。もう、本当に何か、ごくっとか、何とか言うか、というもんだと思っておった。ところがスーッとこう消えるような、あの息の引き取り方でしたね、そして今朝の御理解を頂きますと、43節ですからね。
 本当に死んだからと言うて、神の世話にならん、まあ死んだからとて、尚更お世話にならなければならない神様である事が、私自身分かっておりますからもう実に有り難いです。あの世この世というものがね、繋がっておるのです。言うならばね、眠って眠りに入る、教祖様は眠りに入るようなもんだと仰っておられますからね。もう私の父のお国替えは、もうそれこそ眠りに入るようなものでしたね。
 これからはいよいよまた、神様の広大無辺の中に、教祖生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、これからの死後の生活がある事でございましょうがね。もう本当に御教え通りにね。いかに神ながらなお国替えであったかと言う事もですね。まあ恐らく告別式が19日になるだろうと思います。まあ一昼夜しなければ、まあ火葬にふす事も出けませんし。それから終わったらいわゆる火葬、明日はお月次祭。
 お月次祭を頂いて、19日は告別式と言う様な、まあ順序になるでしょうけれども、本当におかげを受けておるという、その印がねその様な風に見えるのです。これは信心のない者でもですそれを只ふが良かった、丁度良い時刻に丁度良い日に亡くなられたと言う様な事ではない。本当にまあ本当に有難いお国替えのおかげを頂きました。まあ今日は御理解替わりに、父の死を皆さんに聞いて頂く事になりましたがね。
 それとてもなら私がわざわざ、ここの御理解を聞いて頂こうと思うた事ではないけれども、神様は43節を下さってね、そして死んだからと言うて、神のおかげを受けずにはおられまいがと。死に際にもお願いをせよと。もうね生きておる間だは尚更の事。もう息を引き取る寸前までお願いをしたり、お礼を申し上げたりしながら、お国替えを頂いて、神ながらな、言うならば日に、神ながらなお国替えを頂いて。
 皆さんにも大変色々とお世話になりましたが、ここの御信者さん方が申されますように。こちらのじっちゃま、婆しゃまこそ本当な極楽というとでしょうと言われるような生活を日々送らせて頂いて。恐らくはあちらへ参りましたら、もっと有り難い生活に入って行く事だろうと、こう思いますね。皆さん死に際にもお願いの出けれる信心をさせて頂く事の為に、どうぞこの天地日月の心になる事肝要と仰せられる、こういう信心をいよいよ身につけとかなければいけません。
 おかげを受けるから合楽に参っておる。お伺いをせんならんから、合楽に参っておると言った様な信心では、生きても死んでも神様にお礼が言えれるようなおかげになって参りませんね、そして天地日月の心をそのままにです。ならあちらへ持ち続けて行けれると言う事が、私は信心させて頂く者の素晴らしさである。であるならばやはりこのところ。これは桂先生が自分を書いておりますがです。
 本当にこの通りの事がです。大変難しい事ではない分かりやすく、誰でもその気になれば頂けれるお話が、この中には書いてあると言う事を、序文に信徒会長が書いておりますがです。私も何回も何回も読ませて頂いて、昨夜もですそんな訳で、ただ御本になって来たから、は初めてですけれども、ちょっと読もうと思うたら、結局これだけの物を、一気に読んでしまうほどしの内容であると言う事ですね。
 とにかく高いところから低いところへ水が流れるように。そういうスムーズな日々のおかげを頂かせて頂く素晴らしい天地の、言うなら働きと言うか。素晴らしいタイミングの中に日々の信心生活をさせて頂いて。その素晴らしい生活がそのまま、あの世にも繋がって、素晴らしいしかもタイミングの中におかげが受けて行けれる。そういうおかげが受けられるのが、金光大神の道だと思いますですね。
   どうぞ。